大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和46年(ワ)4744号 判決

原告 小林三枝子

被告 国

代理人 宮北登

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

一  本件事故発生に関する事実、本件事故につき昭和四二年一二月二八日から神奈川県戸塚警察署により捜査が開始され、被疑者相沢豊に対する業務上過失致傷事件として立件されたうえ右事件が昭和四三年二月一〇日横浜地方検察庁に送致され、同検察庁検察官が更に捜査したが、同年一〇月二六日嫌疑不十分を理由として不起訴処分をしたこと、被害者である原告は、これを不服として横浜検察審査会に審査の申立をしたところ同検察審査会は昭和四四年四月原告主張のとおり理由にもとづき起訴を相当とする旨の議決をしたこと、そうして横浜地方検察庁は右事件につき再度捜査をおこなつたが昭和四四年九月二一日公訴の時効が完成し、これにより同庁検察官が昭和四五年二月二日附で不起訴処分の裁定をし、同年三月三日その旨を原告に通知したことは、当事者間に争いがない。

二、原告は、本件事件につき公訴の時効が完成し、本件事故の加害者たる相沢豊に対し刑事上の処罰が課せられる道をとざしたのは、横浜地方検察庁の本件担当検察官が横浜検察審査会の前記議決を顧みることなく、時効期間内に誠実に捜査を遂げるべき職務上の義務に違反した結果であり、これにより原告が右加害者について起訴のあるべきことにかけたいつさいの期待が失われ、精神上大きな打撃を被むつたというのである。

そうして、弁論の全趣旨によれば、本件につき公訴の時効完成の日以後も本件相当検察官が捜査を継続していたことが認められるのであつて、これによれば、同検察官は右時効完成の当時においてその事実を認識していなかつたものとうかがうことができる。

およそ、刑事上の処罰は、たとえ違反行為が個人的利益の侵害にかかるものであつても、国家が社会秩序を維持するため中立的立場において罪を犯した者に対して課するものであつて、被侵害利益ないし損害の回復を意図するものでないことはいうまでもなく、刑事の手続面において検察官が原告官として公訴を提起するのは、公益を代表して刑事訴追を受けるべき違反行為者に対して国家が右のような立場にもとずき刑罰を課すべきことを求めるものであつて、検察官が被害者の利益を代表して刑事訴追を行うものではなく、従つてわが国の法制においては公訴の提起は検察官のみが行うものとし(刑事訴訟法第二四七条)、犯罪の証明が十分である場合でも訴追を必要としないときは公訴を提起しないことができるものとして(同法第二四八条)、いわゆる起訴独占主義並びに起訴便宜主義を採用するのである。

原告主張のように、法益の侵害を受けた被害者は、加害者に対して刑事上の処罰のあるべきことを期待し、これに関心を抱くことは否定し得ないところであり、またかような被害者側の期待ないしこれに伴う利益に対応して、被害者またはその法定代理人に告訴権を付与し、検察官が不起訴処分の裁定をしたときは告訴人に対し速やかにその旨を通知し、かつ請求により不起訴の理由を告知することを要する(同法第二三〇条、第二六〇条、第二六一条)ものとされ、告訴人、被害者等が検察官の不起訴処分に不服のあるときは、その検察官の属する検察庁の所在地を管轄する検察審査会にその処分の当否の審査の申立をすることができる(検察審査会法第三〇条)が告訴は捜査機関に対し犯罪捜査の端緒を与え、検察官の職権発動を促すものであるに過ぎず、検察審査会の議決についても検察官はこれに拘束されない(同法第四一条)のであつて、右制度ないし手続は、検察官の職務の適正な運用を期してこれを担保するための公の制度とみるべきことが明らかである。

かように、被害者は、刑事訴追権の行為の有無につき検察官と直接にもまた間接にも公法上の権利義務の関係を有しないのであつて、被害者が検察官の公訴の提起につき抱く期待は、公訴の提起ありたる場合に被害者の感情にもたらされる事実上の反射的利益にもとずくものに過ぎず、法はかような事実上の期待ないし利益を保護していないと解するのが相当である。

もとより、刑事訴追権の行使をその専権に収める検察官としては、迅速かつ適切な証拠の収集により起訴、不起訴を裁定し、いやしくも作為または不作為の職責のかい点怠より起訴を相当とする者をして起訴をまぬがれしめることのあつてならないことは、いうまでもないが、本件においては、原告につき国家賠償法第一条にもとずき被告国に対し賠償を命ずべき損害があるものということができないから、進んで横浜地方検察庁検察官に原告主張のような職責のかい怠があつたか否かの判断を要せず、原告の本訴請求は理由がなく、排斥しなければならない。

三、よつて、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 間中彦次 佐藤安弘 中野久利)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例